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ニュース ハト毒殺の大学准教授が逮捕 教育者とは…あるべき姿を問う〜夜回り先生・水谷修

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ニュース ハト毒殺の大学准教授が逮捕 教育者とは…あるべき姿を問う〜夜回り先生・水谷修
https://www.youtube.com/channel/UCfEYb-QBbjsm0dc64euqJEQ?sub_confirmation=1 ハトは平和の象徴とも言われますが…(xiaosan stock.adobe.com)  ハトに劇物を混ぜた米を食べさせて殺したとして、大東文化大外国語学部准教授の藤井康成容疑者(51)が鳥獣保護法違反の疑いで警視庁に逮捕された。同容疑者は殺した理由について「鳥にエサを上げる人が嫌で、鳥がいなくなればエサをあげなくなる」と話していたという。教育家の水谷修氏は、この事件を踏まえ、教師のあるべき姿を論じた。    ◇  ◇  明治5年に日本の近代教育が始まってから、1945年の太平洋戦争の終戦まで、一部地域では、1947年に日本国憲法の下で学校教育法が制定されるまで、教育は、天皇の赤子をお預かりし育てる聖職として、日本の社会全体が、また国民のほとんどが捉えていました。  天皇主権の時代ならば、当然のことでしょうが、現在の国民主権の時代においては、間違った考え方です。ただし、この教育聖職論の元で、教育者は、地域社会や父母から尊敬されました。当時の多くの教師たちが、その重い責任感を受けて、自らの倫理的あり方を厳しく自らに科したことは、評価されるべきだと、私は考えます。  戦後の教育は、この教育聖職論のような権威主義に基づく教育からの離脱、つまり教育の民主化から始まりました。児童、生徒、学生も教師と同じ対等な人間であり、教育は、権威や強制によるものではなく、互いの理解の中から行われるべきだという考え方です。  その一方で、教育は、労働であるという考え方も広がってきました。教育者は、自分の時間と知識を提供し、その対価として給与を得る労働者だという考え方です。私は、まさにこの状況の中で、32年間教育の現場で教育を行ってきました。そして、いつもこの教育労働論に違和感を感じていました。  子どもたちは、その起きている時間のほとんどを学校で過ごします。そして、そこで、生きていく上での糧となる知識や技術だけでなく、一人の人間としての在り方、公民としての在り方、善悪や人生について学んでいきます。知識や技術は当然、授業の中で学んでいきますが、それ以上に、最も身近な大人の一人である教師の考え方や生き方を通して多くを学んでいきます。  だからこそ、教師は、単に知識が豊富で指導が上手であるだけではなく、人間としても優れた存在でなくてはならないと私は考えてきましたし、そうあろうと努力し続けています。  今回逮捕された藤井容疑者は准教授になるぐらいですから、知識的には申し分ない教師だったのでしょう。しかし、人間的には…。教育は、子どもの命と心と頭を預かる営みです。その教師が、生き物を殺すという行為をすることは、許されることではありません。  このところ教師による不祥事の報道が絶えません。今こそ、すべての教師に、教育とはどのような営みなのか、教師はどうあるべきなのかを考えて欲しいと、私は考えます。そして、単なる労働者に留まらず、人間として人生の先輩として、子どもたちからも社会からも尊敬される存在となって欲しいと切望します。

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